イタリア 万歳

ヨーロッパにチョコレートブームを起こした
そのきっかけは、イタリア北部のトリノにあり
(text & photo by 岩田砂和子)

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チョコレートと言えば、フランスやベルギーやスイスをつい思い浮かべてしまいますが、実はイタリアもチョコレートの歴史は深い。あまり知られていませんが、イタリアはチョコレートの歴史に非常に深い関わりがあるんですよ。

紀元前からメキシコ南部で生産されていたチョコレートの原料カカオ。お金として使われたり、薬として重用されていたカカオが、ヨーロッパに伝わったのは 1500年代と言われています。スペイン人のフェルナンド・コルテスが、アステカ帝国を征服した際に、当地で栽培されていたカカオの種をスペイン皇帝カルロス5世に持ち帰ったのが、その伝来の理由だそう。そして、スペイン王室で秘薬として珍重されるようになったそうですが、その後の歴史は、ポンと飛んで、 17世紀。

フランス王室が台頭してくる17世紀。ルイ13世と結婚したスペイン王女アンヌ・ドートリッシュや、その息子でありベルサイユ宮殿を建造したルイ14世に嫁いだスペイン王女のアンナ・マリア・ドートリッシュが、スペイン王室で流行中だったチョコレート・ドリンクをベルサイユ宮殿に持ち込んだことによって、ヨーロッパの貴族階級の間でブームが起こりましたとさ…。なんて歴史が伝えられていますが、17世紀の前の16世紀の歴史が抜けています。実はこの空白(?)の16世紀に、イタリア(正確にはサヴォイア公国の首都であるトリノ)に伝わっているのです。

1500年代初頭、スペイン軍を指揮したサヴォイア家の公爵であったエマヌエーレ・フィリベルトが、その功績を称えられ、皇帝カルロス5世よりチョコレートを賜ります。このエマヌエーレ・フィリベルトは、グルメ王としても知られたお方。食卓には世界中からの珍しい食材が集められていたそうで、アステカ帝国直送の世にも珍しいチョコレート!に、グルメ王が夢中になったのは言うまでもありません。1587年に行われた息子さんのカルロ・エマヌエーレ1世とスペイン王女カテリーナ・ミカエーラの結婚披露宴でも、このチョコレートを振る舞い、貴族階級の間に広く知れ渡るようになりました。

これをきっかけに、トリノには数々のチョコレート店が生まれ、18世紀にはヨーロッパ各地への輸出も始まり、各国から技術を学ぼうという職人が集まる「チョコレートの都」になりました。今でも歴史あるチョコラテリアが軒を連ねるトリノでは、観光客のために老舗22店舗を巡って試食ができる「チョコ・パス」というカードが発行されていたり、毎年チョコレートのイベント「Cioccoka-To’(チョコラ・トォ)」も開催されています(今年は2009年 3月6~15日)。実は知られざるチョコレートの聖地・トリノ。チョコ好きなら一度は訪ねてみたい街ですよね。

ワンポイントイタリア語講座

意味:パンとヘーゼルナッツとチョコレート。この世にこれ以上旨い物なし。

トリノに伝わる格言です。この3つを食べていれば他には何も要らない、満足できる…といった感じ。トリノのチョコレート文化の深さを物語ってますよね。トリノが州都のピエモンテは、ヘーゼルナッツの名産地として知られています。ちなみにこの格言は、イタリアでもトリノ、さらにその中でもグルメな人たち以外はあまり知られていない模様。トリノ…知られざる…が多い発掘しがいのある街です(笑)。